BoB vs 辺境通信

まだちゃんと追えていませんが、ざっと流れ:

若干グダグダな展開になってるようだが、ヲチ継続予定。

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まず、「例の手紙の引用」(以下、引用文A)

※一審無期判決を受けて
「勝った!って言うべきか 負けたと言うべきか?何か心に残るこのモヤ付き…。いやねつい相手のこと考えてしまってね…昔から傷を付けては逃げ勝っている…」

※殺された母子の夫に対し
「ま,しゃーないですわ今更。被害者さんのことですやろ?知ってま。ありゃーちょうしづいているとボクもね,思うとりました。でも,記事にして,ちーとでも,気分が晴れてくれるんなら好きにしてやりたいし」

※裁判で不幸な生い立ちを演技した事を振り返り
「知ある者,表に出すぎる者は嫌われる。本村さんは出過ぎてしまった。私よりかしこい。だが,もう勝った。終始笑うは悪なのが今の世だ。ヤクザはツラで逃げ,馬鹿(ジャンキー)は精神病で逃げ,私は環境のせいにして逃げるのだよ,アケチ君」

※凶行を振り返り
「犬がある日かわいい犬と出会った。…『そのままやっちゃった』,…これは罪でしょうか」

週刊新潮?/3/28号の記載との前提。(最近テレビでも手紙の引用文が出てたような気がするが)

http://www.jttk.zaq.ne.jp/baags702/tansi52.html


あたしの結論から言うと、今回は kingcurtis の対処のしかたに手落ちがある。

そもそも例の被告の手紙引用文Aの引用元が記載されていない、というのが辺境側の指摘なのだから、「公知の事実と判断しソース出所の記載を省いた。指摘のとおり週刊新潮200X?/3/28号だ」以上。追記として、その他当時のメディアは同内容の手紙の存在を報じている、とすればよい。「地球市民」からの批判とあり、変に煽りすぎてる気がする。

この点に関しては、「情報の出所はどこか」と聞かれて、引用元の名前を示すのではなく、引用内容を支持する別の情報を提示していることである。高裁の判例、新聞記事、それらは「情報の出所はどこか」という問いの答えではない。という辺境側の主張に分がある。

また、TB頂いた光市母子殺人事件に関するひとつの議論を読んで(JETの日記)において、「「その情報の出所に関する記述がない」という問題提起に対してソースを示しただけだからだ。とすれば、今度は辺境通信さんが答えるべきと思われるが、現時点でもそれは行われていない。」としているが、これは間違いで、ボールはBoB側にある。なぜなら引用文Aの出所はどこか?という問いにBoB側は明確に答えていないからだ。反論として提示した「裏づけ資料」は引用文Aが記載されているものではない。その内容の正当性(手紙の存在、真贋、判決の裏づけ)が求められているわけではなく、提示した資料がどこの引用なのか?という至極単純なもの。

(事実誤認があればご指摘ください)


なお、中の人は辺境側の主張に100%同意しているわけではありません。

(*)若干修正 03/27/06 26:40