「分祀」とは伝統的な神道とはなじみの薄い言葉
右も左も「分祀」云々といってますが、この用語自体「伝統的な神道」ではなじみの薄い言葉のようです(あたしも知りませんでした)。右方面の方々も「分祀とはろうそくの炎を、、」と唱えてらっしゃいますが、
- 神霊を増やしていくことは『分霊(わけみたま)』あるいは『勧請(かんじょう)』という
- 別々の由緒を持つ土地の氏神を強引に合祀した経緯があり、後にもとの神社を回復することを『復祀』という
- 靖国の「戦犯分祀」とは、要するに祭祀の廃絶、廃祀のことであり、復祀とも分霊とも関係ない
- また『分祀』という用語は靖国問題が創造されるまではあまり用いられておらず、神道事典に項目が立てられたのは平成十六年(!)になって(小泉総理の靖国神社参拝への内政干渉が苛烈になってきてから)から
とのことらしいです(一次ソースにはあたっていません)。詳しくは下記リンク先を参照ください:
http://blog.livedoor.jp/manasan1/archives/50365315.html
- 分祀(昭和五十年九月発行の第十七巻):分けて祀ること。本社と同一祭神を、新しく別に神社を設けて祀ること。
- 「この言葉は最近になって初めて神道関係辞典に載るようになった。そして、平成十六年になって、初めて神道関係事典に、山拓的「分祀」という項目が掲載されるようになったわけ。私の見たところでも、最近の神道史大辞典しか見つかりませんでした。つまりごく最近政治的に立てられた項目内容なんですね」
http://blog.livedoor.jp/manasan1/archives/50366232.html
- 全国各地に同じ名前の神社、同じ祭神の神社が無数にあります。 これはもとの神社から高貴な神霊を、何かの事情があって、あるいは地元の要望で、「コピーアンドペースト」して増やしたものです。これは「分霊(わけみたま)」、「勧請」「かんじょう」と言います。
- 反日工作が盛んになり、靖国問題が騒がしくなる昭和四十年代までは、「分祀」なる言葉は、(戦前戦後を通して)どの国語辞書にも出ていない。
- 戦前から平成六年にかけての《有名な大型神道事典三種》にも、「分祀」という独立した項目は無い。
- 神道事典に項目が立てられるのは、やっと平成十六年(!)になってから、すなわち小泉総理の靖国神社参拝への内政干渉が苛烈になってきてからである。
- つまり、「分霊」や「勧請」とは違って、「分祀」とは伝統的な神道には馴染みの薄い言葉であることがわかる。
http://blog.livedoor.jp/manasan1/archives/50368003.html
- 靖国の「戦犯分祀」とは、要するに祭祀の廃絶、廃祀のことであり、復祀とも分霊とも関係ありません。
- いわゆる「復祀」というのはありますが、これはもともと別々の由緒を持つ土地の産土様を、明治時代に強引にまとめてしまった(合祀)という経緯があります。そして、後で地元の強い要望があって、再びもとの神社を回復することなんですね。
- これと別に、コピーアンドペーストで祭神を増やしていくやり方があり、これはもともと「分霊(わけみたま)」、「勧請」「かんじょう」のこと。それに最近「分祀」という言葉を製造して無理やり当てはめた。