『議論は勝ち負けじゃない』

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「議論について知っておくべきこと」は、議論から退却せよ、とアドバイスする。

だが、しかし、そんなに早く退却を決断せずとも良いのではないか。

「意見の相違を解消するため」に議論をする。
だから、議論は、勝ち負けではない
強い弱いは、ない(うまいヘタはある)。

議論がヘタな人は、議論を勝ち負けだと思ってしまう。お互いの後ろにゴールがあって対決しているように想像してしまう。
そうじゃないのに。

「同じゴールを目指してボール(意見)をパスしあうのが議論だ」と考えている同志だと、議論は有意義なものになる。
たとえ、その場で対立していても、それは対立した話(対話)を重ねることで、ゴールが見えてくるからであって、勝ち負けを決めるためではない。
お互いにパスを出し合いながら、突破口を探っているところをイメージすればいい。

だから、議論において「強い人/弱い人」と思考すると、あっという間に議論が当初の意味を失う。「意見相違の解消」をしているのではなくて、相手をねじ伏せる作業になってしまうからだ。
そうなってくると、議論の意義が薄くなる。
たとえ、議論に「勝った」としても、相手は「負けた」と思うだけだ。議論に弱いからな俺は、と思うだけで、納得には至らない。
理屈で説き伏せられても、感情は納得しない。

問題は、「議論が勝ち負けじゃない」と全員が思ってないと、議論が成り立たないということだ。
だれかが、「俺は議論に強い(からねじ伏せてやる)」と思っていたり「俺は議論に弱い(から議論の場につかない)」と思っていたりすると、同じゴールを目指してパスを出し合うことはできない。
全員がパスを出し合うことを意識していないと、パスしあうことはできない。
議論は意見の相違点を見つけそれを解消するためにやるのだ」と全員が思っている、ということは、なかなか、ない。
そう思っていても、白熱すると、つい忘れてしまうことも多い。

だから、議論がこじれてきたら、「同じゴールを目指すために議論しましょう」と提案する理性を取り戻さなければならない。

議論が苦手な人は、ゴールを目指すことを忘れてもいい。最初は、ただ異なる意見を耳にして、(いろんな意見の人がいるなぁ、と)自分の知見を深めるだけでいいのだ、という気楽さでいるべきだ。ボールのパスを出し合う練習だと思えばいい。ゴールをあせると、失敗する。

退却などという手段は、最後でいい。そういったことがどうしても通じない(とにかく議論に勝ちたいって)相手の場合のみ退却すればいい。だって、それはもう議論じゃなくて、ただの「言い合い」なんだから