比喩的効果を持つ「ネタ化」の意義

「正しいこと」を主張する人々に関するメモ
http://hilowmix.typepad.jp/blog/2006/12/post_2e9f.html

「またしても正しく人に伝えられなかったなあ」と絶望しつつも、あがいてみる。
(略)

  • 「正しいこと」を主張しているがゆえに、相手の言説を勝手に加工して自らの「正論」への補強材としてよい、などという姿勢は道理に反している。私はそのような姿勢を軽蔑する。
  • だからといって、同様の手法でそれらを批判してはいけない。そのようなことをすれば、相手(自らの正しさを盲信する人)は自らの方法論が正当だという確信を強めるだろう。
  • 最初は道理に沿った手法で説いていたはずだったのに、いつの間にか相手と同様の手法に陥るケースは多々ある。笑いという形での批判や「ネタ化」にもその危険性は常につきまとっている。まして多人数でそれを行えば危険はさらに大きくなる。それゆえ、慎重さが必要だと私は考える。
  • 真摯な対話の姿勢を示し続けることは難しい。ことに自らの感じ方、考え方を正しいと信じ込んでいる者に対してはなおさらだ。私自身、そんな姿勢をほとんど示せず、主張する資格はないかもしれない。それでも常に、目指すべきだと考える。それだけが、人と人をつなげる行為だからだ。

おそらく全くもって正しい。むしろ正しすぎる。

ネタ化というのは諸刃の剣である。

相手の理不尽さ、不合理さを痛烈に皮肉ることはできるが、一方それを用いた途端、議論に対する「真摯な姿勢」が失われる危険を有する。素人には(ry*1。特に自らが議論の当事者となっている場合そして「真っ当な」議論がまだ成立している段階での「ネタ返し」はご法度である。議論の相手に対して失礼である。

で、今回の件(私の脳解ゆうこリンのではなく(後述予定)、井上氏のリアリズムの方)はどうかというと、これはもう「真っ当な議論」の第一段階は通過してしまい、「こりゃもうネタにするしかないかも分からんね」という段になってからの提示だと私は考える:

http://kojii.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_7f03.html

そもそも一連のやりとりは、「アメリカがイラクでやらかしたしくじりをどう解決するか」という件に言及した「摂津堂」のエントリから始まっている。だから、このことこそが議論の前提なのに、「どう解決するか」については言及しないで「アメリカの駐留根拠」だの「悪への荷担」だのといった台詞を壊れたレコードのように繰り返し、さらには「自衛隊を撤収しないと日本が焦土になる」なんて珍説を唱えているあなたこそ、議論が成立する前提を破壊しています。 over。

Posted by: 井上 | Dec 18, 2006 10:12:12 PM

と井上氏が端的にまとめていらっしゃいますが、どうひいき目にみても noharra 氏の「議論」は前提を満たしていない。そりゃ

アメリカのイラク占領に加担し続ける泥沼から抜け出さない限り、平和だった日本の本土が (60 年前の日本のように) 焦土となることさえも起こります。これはリアリズムです。」

こんな斜め上へ飛躍しすぎた「リアリズム」なんてのを提示されたら、そりゃ「もうネタにするしかないかも分からんね」となるのもやむを得ない。

正直私はネット上での議論、特に議論をする能力を有していない人間を相手にして有益な結果が得られるという楽観論に対しては懐疑的である。いくら相手の主張の不備を指摘しても、それを解さない、あるいは曲解する、スライドする。そういった状況が一向に改善されない状態で「真摯な態度」を続けるというのは現実的にかなり厳しい。もちろんその態度を続け、相手を懐柔し納得させ議論が収束するというのが理想ではあるが、かたくなに「信念」を守り続けている相手に対してそれを曲げさせる、というのは至難の技である。いままで残念ながらそうした事例を目にしたことはない。

では、直接相手に対して「ここが間違っている」と直接指摘してもなんら改善が見られない場合はどうするか。じゃ、ちょっといいかた変えてみようか。あなたのいってることはこんな風に変なことなんですよ?と。そう、比喩表現である。古代より演説家は比喩に長けると聞く。巧みな比喩は難解な説法に勝る。

その意味で、井上氏の行った「ガイドラインの作成」は皮肉を伴った比喩であるといえる。noharra 氏の提示する「リアリズム」がどんなに現実性に欠けているかを例示している。第一議論段階を通過した後の行動としては、よくある罵倒大会なぞよりよっぽど建設的で創造的であると思える。

もちろん安易なネタ化は、そのブログの、ひいては当人の品格を疑われる原因となりえるので控えるべきではあるが、効果がない不毛な「議論」を繰り返すよりも(まだ noharra 氏は手当たり次第噛み付いているようではあるが。。。)、比喩表現をもって端的にまとめる「ネタ化」はそれはそれで意義を持つと言えないだろうか。

(推敲中;第三者によるネタの提示、多人数でのネタ大会に関しては別稿予定。)

P.S.

  • ネタ師見習いという立場からネタ擁護のエントリを起こしてみましたが、ちと無理メなところも多々あります、、、
  • あたしのげんしけんパロは、ちょうど新刊買ってきて読んでたところに目にしたので、ピンときて勢いで書き殴ったモンですので、正直あんま深い意味はなかったりします。。

*1:言ってるそばから