a氏の行動は「間違っている」か。またいろいろまとめ
a)私は日の丸・教育問題をここで議論したいと思ってきたわけではなく、ネット上で一部のコメントだけを抜き出し
>言ってることが間違っててしかもその間違った意見で何かを批判したりすれば、ツッコミが多数入るのは当然。それを自覚せずお花畑エントリをあげてばしばし叩かれて「コメントスクラムだぁ」とかほざいているのだとしたら、それは「覚悟不足としか言いようがない」と書いて私を批判した myhoney0079 さんに反論するためにきたのです。
http://d.hatena.ne.jp/myhoney0079/20070117/p4#c1169498161
まずいろいろ整理:
- 「間違ったことを言えば、ツッコミを食らうのは当然」
=> 一般論としては正しい
- この一般論は、a氏の当該行動を念頭において述べられたものか
=> 正直yes。「間違っている」というと言葉が強いが、「TPOをわきまえていない」「常識に欠けた行動」「痛い」という指摘は可能 - どのような点を「間違っている」といえるか
=>副教頭の制止を聞かずに「都政批判を含む文書(批判ビラ)」を卒業式前日に教員らに配布したこと - 「批判ビラ」ではなくあくまで礼状だ、という意見もあるが
=>「東京都の「日の丸強制」に反対し、先生方が自己の意思に従い行動されることを支持するというメッセージ」はとても礼状とはいえない政治的なもので行政批判の文書である。教諭らが都の通達に違反する行動を取ることを支持しており、[a氏本人も政治活動と認めている]。 - 保護者が学内で文書を配布するのに校長の許可がいる、という法令はないが
=>校長には裁量権が与えられている。都の通達に違反することを教員に推奨するような文書の配布を不許可とすることは裁量権の範囲内であり、正当である。 - a氏は校長の指示に基づき、退去している
=> 副校長の指示(文言の削除 or 校長を待つ)に従わず当該文書の配布を実行している。彼女の目的は果たしている。 - そもそも「処分を前提とした「強制」の通達」は憲法違反ではないか。違反とする判決もでているが
=> 都により控訴されており、当該裁判は確定していない。よって当該通達は[合憲性が推定され]、現段階においては何ら法的・政治的拘束力はない。現時点では通達が合憲である以上、通達に基づく校長の指示も適法、公務員はこれに従い職務遂行すべきである。 - 確定はしていないが、判決そのものを否定していない
=>否定はされていないが、肯定もされていないので、当該通達が違憲であるとの法的根拠たりえない。 - 現段階で確定していなくても、都は上告をせず「強制」という非民主的な教育行政を改めればいいのでは?
=>都には上訴を断念し地裁判決に従う義務はない。
卒業式を「ぶちこわす」
- 卒業式前日に教諭に当該文書を配布することは、「卒業式をぶちこわす」ことにあたるのか
=> 直接的には no だが、間接的可能性としては yes。当該文書は「強制に従わない=起立・斉唱をしない」ことを主張するもので、教諭らがこれに同調し当日の式において進行を妨げる行動をとった場合、卒業式は混乱する。そのような政治活動を式に持ち込んでもらいたくないと考える生徒らにとっては、はなはだ迷惑である。
- fantomeye氏はa氏が卒業式当日に乗り込んだ、と勘違いしたのか?
=> 「生徒の一生に一度きりの式典に乱入してぶち壊すのは「していいこと」ですか?」との発言から、その可能性は否定できない。だが、現場の生徒として「自分たちの式に政治活動を持ち込んでぶちこわされたくない」という主張はもっともであり、またa氏の行動は上記のとおり間接的可能性をもつため、一概に否定されるものではない。
コメントスクラム/少数派に対する「攻撃」
- コメントスクラムとは?
=>ブログ上の発言に対して多数の批判的コメントが殺到すること。炎上。コメントをする側に対して否定的な文脈で用いられることが多い。
- a氏の当該エントリで「コメントスクラム」が発生したようだが
=>多数の批判的コメントが寄せられた、という意味では yes。 - いわゆる「匿名コメント」は「物陰から石を投げる」という卑怯な行為ではないか?
=>内容を伴わない一言野次などのウンコは当然非難されるべきであるが、第一義的には批判の内容で評価されるべきである。またネット上での固体認識は「固定ハンドル」により行われることが通例となっており、十分に自己紹介されたコテハンをもっての発言は「匿名」とはみなされないという考え方もある。 - コメントをする際にはメールアドレスや url を提示すべきである
=>メールアドレスの提示は実害(リアルバレ・SPAM増加)があり、ブログを持たない発言者もいる。これらを提示が発言の質を担保するとはいいがたい。 - 少数意見に対して多数派が「袋叩き」にするのはどうか
=>その意見が少数か多数かに問わず、主張には説得力、論理性が求められる。それが欠けてた場合に批判を受けるのは当然である。 - 少数派にばかり「高い論理性」を要求するのはなぜですか?
=>当然多数派にも論理性は要求されるが、「少数意見」ということは、その意見に賛同しない人が多数いる、ということ、またそもそも自分らと前提部分の共有ができていない多数の人間に対して説得を行わなければならないので、深いところからの論理の蓄積が必要となる。
強権的な教育行政
- 都は日の丸・君が代の「強制」などの強権的な教育行政をやめ、民主的な教育をめざすべきだ
=>政治的主張は自由であるが、公務員の法的義務として法令遵守が求められることとは関係がない - 現に都による《処分を前提にした君が代・日の丸の「強制」》が行われている
=>「強制」というが業務命令は強制性を伴うものであり、それが妥当であれば問題はない。少なくとも本件に関しては、憲法違反との判決が確定しておらず、合憲である。法令遵守という義務を果たさず違反行動をとった教員が処分されるのは当然である。 - 校長の裁量権の発動には、石原都政の強権的行政という背景がある
=>両者の因果関係が不明である。当該裁量の正当性を評価する場面においてそのような「事情」は考慮に値しない。背景との関連を主張するならば、その因果関係を具体的に説明すべき。 - 現在の石原都政のもとでは、民主的な教育行政が行われていない。
=>根拠が不明。有権者による選挙で選出された代表者が政治を行い、民意は彼らを通じて政治に反映されている。 - 少数派の意見が反映されていない
=> 少数意見は尊重はされるが必ずしも反映されるとは限らない。
ネタ
- 盛り上がっているようですが、論理性を放棄したのですか?
=>すいません。。。。基本はネタヲチブログなもんでしてww調子に乗りました。
雑感
- 「分かる人には分かる」
- 「普通に読めばわかるはず」
- 「思考停止です」
- 「都合の悪いことから目を逸らしているだけ」
だんだんと捨て台詞が多くなってきました。「分かんねぇよww」「おまえがなw」というツッコミは自粛しています。
ひげ小山氏があくまで「本件」すなわち通達の合憲性および校長の裁量権行使の正当性に関して議論を試みているのに、a氏は「石原都政の強権行政」「非民主的な教育」などのお題目を唱え、「本質」を分かっていない、と持って行こうとする。
あくまで現時点において、
- 通達は合憲であり、公務員は通達に基づき職務を遂行すべき
- 法令を遵守しない公務員に対して処分が行われるのは当然
- 通達を無視することを推奨する文書の学内配布を禁じるのは校長の裁量権行使として正当
という論法は成り立ちます。これは「石原都政で強権的・非民主的行政が行われているか」に関わらず成立します。これらを認めたうえで、
- 裁判が確定した場合、通達は違憲であり撤回されるべきである
- 現在の石原都政はこのような点がこのように強権的であり、改善されるべきである
- 石原都政の強権政治を打破するため、この候補者を支持し民主的プロセスによって選出されるよう活動する
と主張・運動するのなら別に構わないんですが。
多分「強権行政」「非民主的」という「背景」はa氏にとっては「議論の前提」になってるんだと思います(靖国問題だと「侵略戦争」とか)。でも彼女に対する人々は、その前提に同意していない(=認識を共有していない)し、そもそも本件にはその前提の有無は関係ない、としている。なのでいくら彼女がその前提にたってお題目を並べても、「だーかーらー、それは関係ないっていってるでしょ?」としかならない。「少数派」である彼女が「多数派」を説得するには、
- 本件がその背景と密接に関係していること
- その背景における主張が正しいこと
を示さないといけないんですね。でもそれが全然できておらず、「分かる人にはわかるはず」「本質から目をそむけている」と相手を非難するだけ。それじゃあ説得のされようがないってばさ。「少数派にはより高い論理的整合性が要求される」ってのはこういうこと。
正直中の人は一介のサラリーマンで、子供を学校に通わせているわけでもないんで、教育現場からはかなり離れています。なので現在公立の学校でどのように「強権行政」が行われているのか実感が沸きません。そこへきてこういう事例で「石原強権!」とか持ってこられても、そりゃ「強権」でもなんでもなくて当たり前じゃね?つかおまいがおかしんとちゃう?となってしまうと思うんですよ。
っておい、こんな時間かよ。
(随時加筆・修正予定。誤認があればご指摘ください)