街のおにゃのこの露出はあがりまくりんこだけどぴっちりとした服だとちら期待率がさがっちゃっていたしかゆしかもね!

タイトルは挨拶です。

よく、まだ荒削りだけど将来性のある若手などを評するとき、「伸びしろがある」という言い方をします。いまはまだまだだけど、伸びる可能性がある、と。逆にかなり優秀そうに見えるけど、もう固まってしまってあまり伸びない、という若手もいます。どっちを採用するかというと、私は前者を選びます。

服もそうなんですね。露出も高くてまぶしいくらい肌があらわになっている。ぴっちりと胸のラインもきっちりでている。でもそこには「それ以上のもの」が期待できないんですね。ラインといっても、ワイヤーのライン。風が吹こうが屈もうが、今見えているもの以上のものは現れてこない。可能性が殺されちゃってるわけです。それこそ都合よく服だけ解けちゃう魔法液とか突然胸が大きくなっちゃう薬でぱっつーんぽよーんを待つしかない。

逆に、ゆったりとしたデザインの首元のゆるめなTシャツ。あるいは胸のあいたキャミソール。普通に立っているだけでは胸のふくらみもラインもあまり出てこない。でも、、、でもね、そこには「ある」んです、可能性が!屈んだときに垣間見られるであろうたゆんとした二つの乳房が!谷間が!!別にふくよかでなくてもよい。少し見栄を張った大きめのブラから浮いているピンクのちーくびが!!それはほんの一瞬であってもいい。いやもっといえば実際に「今は」見えなくてもいい。いつか見える、いつか見えるかもしれない、いつかは見えるはずだ!という期待感、切望感が、まずは私の心の眼にその姿を映し出すのだ。

または間隔のあいたYワイシャツ。その隙間から白いブラこちらに微笑みかけてくるかもしれない。胸の重みに耐え切れずにボタンが外れて私に手を伸ばしてくるかもしれない。あなたはそれを「ありえない」と絶望してしまうのか!否、その希望を捨ててはならない。

愚かな君は、「それなら彼女・妻に見せてもらうか、風俗にでもいけばいいじゃない」、と愚問を呈するかもしれない。あまりに浅はかだ。

「見えることが当然」な既定事項に一体なんの感動を覚えよというのか!義務感にあいまみれて見ざるを得ない状態、金払った人へのサービスの一環、それは日常であり対価でしかない。絶望に耐え、希望を持ち続けた結果得られるであろう果実とは比べ物になるはずがなかろう。

それでも君は「哀しき男のロマン」と一笑に付すのかもしれない。いいさ、笑うなら笑えばいい。私はまだ見ぬ果実を追い求め今日も街を彷徨う。

、、、、ということを前にも書いた気がするが、スルーライフということで。