オ○ニーの「プロ」は存在しうるか?そしてミクの効用

見出しは演出です。ミクでオナヌーとかそういう話ではありません。

Studio RAIN's diary: 芸術におけるアマチュアリズムの意義

http://studio-rain.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_703c.html

 しかし、ぼくが認識する、芸術におけるアマチュアリズムの意義というのは、このどちらでもない。 アマチュアリズムの意義は、マチュアが自ら芸術作品の製作に携わるというその行為自体にあり、結果として生まれてくる作品の質には関係がない(あえてわざわざ「下手糞な」と書いたのはそのためだ)。

 また、アマチュアが芸術作品の製作に携わるという行為は、マチュアの鑑賞力を高めることにつながり、その結果、プロの芸術家がより質の高い作品を生み出す誘引になるはずである。したがって、アマチュアリズムは決してプロの芸術と無関係ではなく、プロの芸術を含む芸術文化全体に貢献するはずだ。これがぼくの主張である。
(略)
だからこそ、音楽の鑑賞力を高めるためには、楽器を操ってみたり、作曲の真似事をしてみたりして、自ら製作の過程に携わってみることが決定的に重要なのである。 ぼく自身も、(最近は忙しくてやっていないが)キーボード演奏や DTM を趣味にしていたことがある。もちろん、他人様にお聞かせできるような水準の作品はほとんど生まれなかったが、このような経験によって、芸術を見る眼は明らかに変わったことを実感している。

プロが失職するとか歌手を駆逐するとか、そういう性急な話も出てるようですが、おそらくそういうことではないと思います。

初音ミクの効用は、裾野を広げた、引き上げた(これから、という意味で「る」かも)ことにあると思います。いままでDTM、もっと広くとれば音楽というものにほとんど触れていなかった、あるいは遠ざかっていた人々をその世界へ引き込んだ/戻した、と。もしかしたらそれは私だけなのかもしれないが、米欄でいただいたような、昔とった杵柄的な「おじさん」がまた戻ってきているというのはあると思う。

私の場合でいえば、(他のエントリを参照すれば分かるとおり)DTMは全くの素人、音楽(ポップス、ロック、クラシックなど含めて)とは随分ご無沙汰だったのが、ミクを契機に触り始め、用語も覚え、鑑賞も再開した。ついこの間までミキシング、エフェクトなんて知らなかったのに、「ちょっとリバーブ強すぎるんじゃね?」とか通ぶったことを口にしている。おそらく長年やってきた人からすれば「このにわか通が、ぺっ」と失笑ものかもしれないが、いままでとは違った聴き方をするようになったのは事実で、そういう素人が一人増えたというのも事実。

素人の耳が肥え、また耳が肥えた素人が増えることが、その「業界」の底上げにつながるんじゃないかと思います。耳が肥えてくれば、本当のプロの本当にすごいことが分かってくる。逆に並みのプロのすごくないところが分かってくる。そういった意味では「失職」というのはあながち間違いではないかも知れませんが。