承認欲求っつうよりも賞賛欲求?「褒める」「褒められる」の好循環

ニコニコ動画が言い続けた「アンチ集合知」とは何だったのか - Attribute=51

(注)中の人は主にミク関連(特にオリジナルモノ)とアニメちょこっとしかニコニコ利用していないので、リンク先の方々と念頭に置いている対象が違うかもしれません。
http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20071212/1197437376

ニコニコ動画は「私を肯定してくれる場所」

結論から言うと、ニコニコ動画は「私を肯定してくれるWebサービス」なのではないでしょうか。

しかも、その「私」が消費者、制作者ともに当てはまるのが、このサービス最大の特徴です。

ニコニコ動画ごときで満たされるカジュアルな承認欲求など要らぬ - Je n’avais pas l’intention d’aller a` la mer. - HINAGIKU SAID ”LIVE OR DIE” (略称『らめぇ』)

http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20071213/1197521756

だいたい。「ここにいても、いいの?」だの「だから見て! 私を見て!」だの、そういうのがロクなもんじゃねえってのは、10年前にエヴァでみんな学んだことではなかったのだろうか? なんでこんなにカジュアルになってしまっているんだ。「自分が他人にとっていかに無意味な存在であるか自覚するところから対人関係は始まる」とはぼくの友人の言葉で、発されて8年経ってからようやく実感し受け入れられたのだけれど、誰にとって価値がなくとも、誰に承認されずとも、あなたは別に好き勝手に存在していいのである。人は本質的に、無限に自由なのだから。

いまさらシンジくんいうのも乗り遅れた感があるのですが

dankogai の人も入っていろいろ盛り上がってるようです。

賞賛欲求:褒める、褒められる

まぁなんつーか、ニコニコのいいところって、褒めやすい、褒められやすいってことなんじゃねぇの。承認欲求というか、賞賛欲求っつか。気軽に褒めやすい。ポジティブな方向性が生まれやすい。まぁ承認が賞賛を包括してるのかもしれんが。マズローとか知らんので。

賞賛されたいうp主

前に、なぜニコニコにうpするのか?でも書いたけど、うpする人間は、まぁおまいらこれを見ろ、すげぇっていえよ、と言ってもらいたい。自分を承認してもらうっつぅよりも、賞賛するがよい。自虐的なうp主コメントつけたり、アホやっちゃいました的な卑下姿勢であっても、やっぱり褒めてもらいたいものだし、神、無駄遣い、バカ(いい意味で)、GJ、っていわれるとうれしい、そういってもらうとやりがいがあるっつうもの。

もちろん「自分が」賞賛されたい、認められたい、ってのもあるとは思うが、まず評価、賞賛してもらいたいのは作品の方。この素晴らしい労作を褒めよ。そしてその次に神たるうp主を称えよ。そういう順序じゃなかろうか。あ、でも自分を褒めてもらいたいから作品を投下するのかな?よくわからん。

賞賛したい視聴者

また観る側も、素晴らしいものには素晴らしいといいたい。既存のでも、ブログコメントやTB、ブックマーク、はてすたなどがあるけど、ある程度文章を形にしなきゃいけなかったり(「すげぇ」だけの米じゃ脳みその中身を疑われる)、id で足がついたりする。

「褒める」という行為も実はリスクを伴う。「こんな下らんの褒めるなんて馬鹿じゃね?」「この程度で満足するとは節穴か」と。見識を疑われる、というか。あるいはネタにマジレスしちゃった、とか、釣られた、とか。脊髄で反応すると思わぬしっぺ返しを受けることがあるので、躊躇するケースも多い。

その点ニコニコは垣根が非常に低く、足もつかない。素直に脊髄反射GJが打てる。みんなその場でGJ, wwwwwwwww とコメントしているという安心感もある。

2ちゃんでもブログでも、炎上とか荒らしとか「誹謗中傷」とかどうしてもネガティブな方向性が浮き出がちだったのに対し、「褒める」「褒められる」という(ちょっと照れくさいけど)ポジティブな反応を発生させやすい、というのはあるんじゃないかな?

賞賛強制

で、中の人もいくつかニコニコに投下してるわけですが、、、単なる自己満足なようです(汗;まぁやっぱりコメントもらえるとうれしいわけで、特に褒められると伸びる子です。また、ここが変とか音質悪いとかの注文でも、んじゃ次回気をつけるか、と直すこともできます。中の人の作品はどれもPV数百のぺーぺーですが、そーゆー底辺であっても、いや底辺が底上げしてこそ、その中から逸材が産まれるんじゃないかな、って思っています。

というわけで、引き続き賞賛コメントを絶賛強制中なので、まだのひとは早く投下するよーに。