「指摘する」という立場

http://d.hatena.ne.jp/kemu-ri/20060625/1151176343

自分は日本政府の見解とほぼ同意見(不法殺害があったことは否定できない。人数の特定は困難)だが、そういう人間でも「捏造説」の誤謬を指摘することはできるし、「ちゃんと」議論することができるはずだ。

したがって「まず「肯定派」の人間は、どの知識人を最も信頼して持論のベースとしているのか。そこを述べるべきだ」という意見には同意できない。


この問題には背景がある。

自分が見聞した範囲では、歴史修正主義の人間は、必ず「突っ込む」側・「質問攻め」する側・「あら探しをする」側に立とうとする。(南京事件の場合は、「○万人説」に突っ込みを入れて「証明せよ」と迫り、「証明できないものはない」という結論に持って行こうとする)

つまり「証明できないものを信じるビリーバー」対「実証的な人間」という構図に持ち込もうとする。

青狐氏が多用する論法(以下青狐メソッド)は、この歴史修正主義者の論法のパロディみたいなもので、つまり

「捏造説」を議論のたたき台にし、青狐氏は突っ込みを入れる側にまわる歴史修正主義のフォロワーは持論の脆弱さを指摘される側になる。

つまり青狐氏は「証明できないものを信じるビリーバー」対「実証的な人間」という構図を、歴史修正主義者の論法を反転させておこなっていると思われる。ここでは歴史修正主義者が「安易」「安直」「軽卒」「ビリーバー」の側に立たされることになる。

こういう構図は、野良猫氏のような人間にとっては堪え難いものなのであろう。だから彼は頻繁に「南京事件捏造説」をめぐる議論に介入し、「南京事件○万人説」をたたき台にするように画策する。つまり相手を「ビリーバー」の側にまわしたいわけだが、意図がみえみえなので無視されてしまう。

彼にとってはサヨクこそが「イデオロギー」「情動」「ビリーバー」であり、自らが「理知的」という構図でなくてはならない。自らがビリーバーであるという構図は堪え難い。だから彼は「青狐メソッド」に苛立ち、ついにマジ切れしてしまったのではいないかと推察する。

「青狐メソッド」の部分は(よしあしを別として)的を射ている感。彼はあくまで「あった」という証明の義務を負う側ではなく、あくまで「捏造説」の不備を「攻撃」する側に回る。東中野にしても、例のハルヒの流れにしても。捏造などとホザくやつは、こんなにインチキだ、と。

また、apesnotmonkey も「捏造というならそれを証明せよ」と要求する側にたとうとし、十条は否定論者(具体的には野良猫)の議論のやり方を非難しようとする。

まぁ、「議論」というものは成り立たないだろうなぁ、、とか。