結論オリエンテッドな議論

http://deztec.jp/design/06/12/12_conclusion.html

誰の主張に対してであれ、明確にNOを突きつける人は、立場のハッキリした人だといえます。従来、こうした相手の考え方を理解するために発せられてきた言葉は「なぜ、そう考えるのか?」でした。相手の主張の背景には「理由」や「根拠」があるはずだ、というわけです。

しかし結果はどうだったでしょうか? 要求に応じて提示された論拠をていねいに潰していっても、相手の主張の根幹はブレないことが多かったはずです。「でも、でも」といっそう意地を張り、ますます手がつけられなくなっていった記憶、皆様にもあろうかと思います。

逆に、枝葉末節にこだわりネチネチと言葉尻をあげつらう論敵に暗い炎を燃やした経験もあるでしょう。補論を重ね持論の正当性をあらためて確認しているこちらを嘲笑うがごとく、「論破されているのに見苦しい」……それはこちらの台詞だ、といいたい。決め付け、悪意の解釈、ワザとやってるだろう、この嫌がらせ。

こうして最初は紳士的に始まった議論も、延々と続く限りは内面のドロドロ化を避け難い。なぜか?

それは、人々が「結論オリエンテッドな議論」をしているからです。