批判のリスク・覚悟と人格再構築コスト

いろいろ「リスク」とか「覚悟」という言葉が入り混じってますので、整理しておきましょう*1

二種のリスク

  1. 主張者(意見表明者)がその発した意見、主張に対して批判を受けるリスク
  2. 批判者が批判を行う際にメルアドを提示することにより実名などが類推されるあるいはSPAMを受けるなどの実害を伴うリスク

実は一点目は、リスク(=危険性?)などではなくて、公の場で何かを主張すればそれに対して批判を受けるのは当然のことなんですよね。何かを言えば、特に何かに対して「批判的」なことを主張すれば、それに同意しない、説得されきれなかった人から反論を受けるのはあたりまえ。自分の米欄であれ観測所であれ、「匿名」も含んだ批判者からの批判を受けることは覚悟しなければならない。それがいやならmixi以下略。

黒木ルールは管理者が管理下の掲示板・ブログなどにおいて「匿名」によるウンコを避けS/N比をあげるために、批判者に恥をかけることを要求しているのであって、メルアドを「覚悟の担保」として要求しているわけではない。また有用な批判であれば匿名であっても管理者裁量で採択されるとしており、逆に妥当な批判を適切に扱う管理者の器量も評価される。少なくとも、「メルアドもURLも示さ」ない人を「物陰から石を投げて・・・。」など非難するためにあるのではない。

二つ目。これは、コメントの内容に関わらず、アドレスを晒すこと自体によって発生するリスク。内容が批判的であるか否かに依存しない、まったく別次元の問題。

ネット人格再構築コスト

批判者、主張者両方とも負ってるのは何かというと、「コテハンに表彰されるネット人格」であると思う*2。少なくとも同一のコテハンを継続的に使い続ける限りにおいて、そこでの言動はそのコテハンの「実績」として積み重ねられる。そのコテハンをもって批判する場合、その批判が見当はずれであった場合、そのネット人格に対する評価が落ちるというリスクがあり、最悪その人格の放棄につながる。アドレスを晒すこと自体はその人格の担保になるとは考えにくいし(人格再構築コストがあがるというのはあるが;後述)が、そのアドレスがリアルと連結する可能性がある場合は、批判の覚悟とは別の問題が生じる。

主張者とブログを持たない批判者との「担保」の違いは何かというと、ネット人格再構築コストにあると思う:

  • コテハンのみで活動を行っている批判者の場合は、単にそのコテハンを捨てて新しいコテハンを使えばいい。それこそ書き逃げも可能。再構築コストは低い。でも、長年使っているコテを捨てるのはつらいだろうし、また変えたとしても書きぶりとか内容とか言い回しとかでバレたりすることも。
  • メールアドレスを晒した場合は、そのアドレスを捨てて新しいのを取り直す、というコストが追加される。若干手間が増える。
  • ブログを晒した場合は、そのブログを放置、あるいは凍結・削除するはめになる。これは結構高い。長く続けている場合は特に高い。また新しくブログ始めたとしても、バレやすい。コテハンの米書き散らし後の乗り換えに比べて文章が連続されるため、どうしても言い回しとか口調とかで類推されやすいので、それを気をつけなくてはならない。特に中の人のようにソレっぽいアレな文体とか絵とかを晒した日には、一発でバレる。多分。少なくともこの界隈ではね。

このように、「メルアドも晒さない」批判者は、リスクあるいは人格構築コストの軽重からいうと、ブログ主に対して劣ることは確か。その点は認識すべきではあるが、少なくともコテハンに対しての責任・リスクを負っているわけで、そのようなブログ非保持批判者に対して主張者が「物陰から石を投げる」と表現するのは、自分が「石を投げられている」と自分を被害者の立場に置くことにより、内容に対しての反論ではなく、批判者の「攻撃性」を非難するという方向に切り替えようとする手法であり、あまり誉められたものではない。(この「被害者意識」に関しては別項で考察予定)

物陰から石を投げる(追記)

例えば「名無し」とか「通りすがり」などの明らかな捨てハンで「ブサヨク氏ね」とか書き逃げしている場合は「物陰から石を投げる」とも言えると思うが、これらは批判の域に達していない単なるノイズでありウンコ。「大炎上」した場合はこのようなノイズが増える傾向があるが、これらは一切擁護されるべきではないし、ここでは論の対象にしてはいない。

少なくとも現在ここにてa氏に対して論を張っている固定コテの方々は、それぞれの論拠により批判を行ってるわけで、このようなノイズではないし、メルアドを晒していないからといって「卑怯な攻撃者」という「印象操作」を行うのは正しい議論姿勢ではないと思います。

*1:nuhehoさんの指摘による

*2:本当の「匿名」による書き逃げを除く