米収集

http://obiekt.seesaa.net/article/36100514.html#20070316234428

なるほどね。誠意ある対応とまでは受け取りがたいが、「虚偽情報の流布」は是認していない、と理解した。なので俺も、もう一度だけ答える、との約束は守ろう。

(1)について。
俺が問題にしたのは、「責任の所在を明らかにしないまま、なにごとかを論じる姿勢」のこと。コメント欄の管理責任や文責などは、分かり切ったことで、どうでもよい。話をすり替えるな。単刀直入に聞くが、JSFとやら、素性を明かせない理由が、なにかあるのかね?実社会では、このような形で他者を批判した場合には「誹謗中傷」としか受け取られない。「信頼できるソースを示せば……」という次元の問題ではないのだ。当人の言論自体が、信頼するに足りないのだから。

(2)について。
ほほぉ、JSFを論理的に打ち負かすと、ネット限定で箔が付くのか。知らなかった。ネット界の言うだけ番長というわけだな。しかしそれなら、自分のブログに対するコメントを「雑音」と斬り捨てるのは、おかしいのではないか?雑音とは、俺の立場から言い得ることであって、そちらの論法では、「これがネット界の世論だ!」になるべきだろう。言うことが矛盾しておる。論理的には、すでにこの時点でそっちの負けだが、俺はそこまで低次元の争いに持ち込むつもりもない。

ただし、こういう問題はある。コメント欄でのJSFは、たしか俺をブログ上では「特別扱いする理由はない」と言っていなかったか?それにしては、俺のコメントだけ「来訪編」になり、「プロ作家を斬るJSF」的な演出に血道を上げておる。あるいは、コメント欄のJSFは別人か?こういうことがあるから、匿名ブログの記述など基本的に信用すべきでなく、また実際に、実社会では信用されていないのだ。少なくとも、書くも書かないもこちらの自由と明言したからには、多忙な俺が今後しばらくコメントしなくとも、金輪際「逃げた」などとは言わない、という意味だと、理解してよいのだね。

(3)について。
「主要な部分」と「枝葉」の基準がよく分からんが……俺はそもそも、JSFの軍事知識自体を、あまり信用していない。ネット情報を漁っているだけ、としか読み取れないのでね。長文のコメントを寄せた作家の「好意」を本当に理解しているなら、ひとつ要求したい。少なくとも『反戦軍事学』を批判する記事に関しては、データは全て出典を明記し、読んだ側が検証に耐えるものとしてもらいたい。あんたはそれをやってんのかい、という批判はあり得ようが、新書の場合、煩雑を避けるために、主要参考文献は巻末に列挙してある。

ひとつ明記しておくが、JSFの言うことも、正鵠を得ている部分はあるたしかに心情的な反戦派は、基礎的な軍事知識すらない場合が多い。よって反戦軍事学』のような本を書く場合にはよほど表記やロジックに気をつけねばならず、JSFが指摘したような誤解を招く可能性もあることは認めよう。最初に明記した通り、本をちゃんと読んだ上での批判なら、俺はきちんと受け止めている。ただしこれは、JSF自身が「枝葉」と評している部分の話であり、こうした批判を受けたことで『反戦軍事学』の価値が下がるとは、俺は全然思っていない。あとの評価は、読者に委ねればよいことだろう。また、無内容かつ失礼な文言については、無視かぶっ飛ばすか、どちらかを選ぶ、という姿勢は変えるつもりはない。

(4)について。
「左翼なのか編」についてのJSFの言は、意味不明。雑音は気にしないでよいはずでは、なかったのか?ここでも、幼稚な詭弁を使ったな。あれは、煽りを狙った個人攻撃だとしか受け取れない。事実そういう結果を招いたしな。こう言えば、今度はまた、「コメントに文責はありません」「その批判では、自爆です」と来るのかね。

JSFがなんと言おうが、俺としては、「このブログにして、このコメントあり」と評価せざるを得ない。ゆえに、「バカと変態のパラダイスに、これ以上関わる気はない」という文言も、撤回しない。では何故、ここでもう一度、コメントに言及するのか。

まず、俺のコメントに対するJSFの対応は、低姿勢を装った挑発だが、別に、俺がそれに乗ったわけではない。むしろ、コメント欄の連中に警告するためだ。そもそも『反戦軍事学』が商品化された時点で、ネットウヨから攻撃を受けることは、版元ともども想定の範囲内であった。アクセス数が何万になろうが、俺が出版界から干されるなどと、余計な心配はしなくて結構。思い上がるな、と何度言えば……分かるかなぁ、分かんねぇだろうなあ。昭和のギャグだ。気にするな。むしろ、個人を名指しした上でのコメントの内容が、この時点ですでに非合法すれすれになってきており、このままだと、こうした匿名ブログ全てが、規制の対象となりかねない。この問題について、俺は『ネオ階級社会を待望する人々』(ベスト新書)という本で、規制には反対だと書いておいたが、同時に、ネットの匿名性が「知のデフレスパイラル」を引き起こしているとも訴えた。
思い上がりもほどほどにすると同時に、自分で自分の首を絞めないよう、気をつけろ。

(付録について)
ありがとう。筆者の希望で「増補改訂版」となるため、出版は少し先だけどね。

書評を書くのはよいが、最後にもう一度だけ。JSFよ。まだ未熟だが、ケンカのテクとしては、まずまずいい線いってるぞ。匿名ブログなどという姑息きわまる表現方法でなく、自分の立場と責任を明らかにした上で、堂々たる言論で勝負してくる気はないのか?それならばこっちも、せめて片手で相手をしてやれるのにな。以上、コメント終わり。

Posted by 林信吾 at 2007年03月16日 23:44

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ああ、質問があったな。
申し訳ない。資料が今、倉庫に行ってる
執筆室と書斎と倉庫が、それぞれ別なのだ。
不確実な返答もしたくないので、悪しからず。
Posted by 林信吾 at 2007年03月16日 23:52

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「物腰が柔らかくなった」
そうだね。率直に言おう。俺の方にも、勇み足があった。当初、『反戦軍事学』を読まずにけなした別のブログに煽られ、いよいよネットウヨが殴り込んできやがったか、と思い込んでしまったのだ。それで、喧嘩腰になった。しかし、このブログはそういうものではないという(来訪編3だったかな?)JSFは基本的に真摯な論客であり、先に個人攻撃をされたとは言え、俺の怒りはもっぱらコメントに向けられ、その過程で表現の暴走があったことは認めよう。

今は、ネットで誰でも情報を発信できる時代だ。その分、出版社に投書してくる人が激減した。そういうわけで俺は、ネット上での書評は一種の投書だと考え、これは、と思うものにはコメントしている。この時点でまず、林信吾は批判から逃げてなどいない、と理解されたし。次に、今回あらためて、ネット上でのみ通用する価値観と、一般社会のそれとが、以下に乖離しているかを知らされた。素性を一切明かさない匿名というのは、自身の言論に対してなんら責任を負わない、と言っているに等しいというのが、社会常識である。よって、JSFの言論は、内容の如何にかかわらず、社会的に認知され得るものではない。数多くのコメントもまた然り。
以上。
Posted by 林信吾 at 2007年03月17日 08:14