観る側から作る側へ

もちろんミク以前にもいろいろなMAD作品はいろいろな職人により生み出されていた。が、ミク以前と以後では、私の意識には大きな変化が生じた。自分は観る側だけではなく、作れる側にも回れるのではないだろうか、と。人はそれを勘違いと呼ぶかもしれない。おまいの才能じゃムリ、と。

でも、それでもいい。自己満足でもいい。自分では作れないと思っていたもの。映像と音楽を組み合わせ、作品を作る、そんなの無理だと思っていた。でも、たとえ拙いものであっても、自分にも作れる。いや、作りたい。そういう気持ちにさせてくれた何かが、初音ミクにはあった。

この高揚は、初めて学生の時にプログラミングというものを知ったとき、また90年代初頭にインターネットに触り、CGI というものに触れたときに似てるかもしれない。見るだけ、遊ぶだけと思ってものが、自分でも作れるんだと感じたとき。そして実際に作って「見せびらかした」時。

何かを作る。新しくて面白いものを作る。賞賛への期待感。そういえば最近すっかり忘れていた楽しさ。それを思い出させてしまった初音ミクは、罪深い。