勝手に切磋琢磨していく、日本文化の礎

日本文化は身内受けの凝り性文化。だがそれがいい!:アルファルファモザイク
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334 :可愛い奥様:2007/06/26(火) 09:46:19 id:raxdPvfD0
OLだった頃、会社で働いていた日本に超詳しいベルギー人が言ったことに納得してた。
日本文化は身内受けの凝り性文化だそう。外国文化に負けまいとしているのではなく、世に意図的にインパクトを与えようとしているのでもなく、今ここにいる同じ価値観を共有する仲間からの喝采を浴びたいと考える。その結果、同じものを志す者同士の「これすごいだろ、おもしろいだろ」合戦が始まり、そこで生み出される物が自然と研ぎ澄まされていく。でもその競争は、敵対的なものではなく、お互いを尊敬しあいながら、静かに深く進行していく

そしてある日、偶然目撃した異文化出身の人間(外国人)から、それがすごいものであることを知らされる。ほとんどの日本人はその日が来るまで、自分たちが作り上げた物がすごいものとは知らない。もろもろの伝統文化、芸能、電化製品、アニメ、他、みんな同じパターンで世界に広まっていった。だから、日本がここまで発展してきたのも必然的なものだし、この精神が衰えない限り、これからも日本は誰に頼まれることもなく、知らないうちに勝手に世界にインパクトを与え続けていくだろうと。

まあね、ここのAA職人さんを見てると、この理屈もなるほどなとは思うよw

まさに前に書いたことと書きたかったこと。

また、前のエントリでは「どうだ、すげぇだろ、すげぇっていえよ」と書いたが、これはあくまで心の中のこと。観るほうも、こいつはそう言ってもらいたいと思ってるってことは分かってるんだが、あくまで表向きは「こんなバカなもん作っちゃったアホです」的な、謙虚というか卑屈さを装う。「自重できませんでした」「作ってみました」、と。そして見る側もその「アホすぎ」さ、無駄なクォリティの高さをスゲェと賞賛し、また賞賛する手法として米職人も生まれる。

最初はごく狭い範囲での盛り上がりかもしれない。ネタは狭ければ狭いほど、濃ければ濃いほど、面白い。でもその盛り上がりを外野で見ていた人たちも、その「スゲェさ」を目の当たりにして驚く。そしてなにか元ネタがあるらしく、それを知ってるともっと面白いらしい。ぐは、こういうことか、んじゃこういうのもいいんじね?と投下。そうして範囲は広まり、濃さも増していく。

誰に押し付けるのでもなく、押し付けられるのでもなく、勝手に「生産的な切磋琢磨」が行われていく。こういう土壌こそが「日本文化」の礎であり、いつのまにか受け継いできたものであり、これからも受け継いでいくものじゃないのかな、と。