八分音符の憂鬱: みっくみく問題考
http://yoshim.cocolog-nifty.com/tapio/2007/12/post_8a9a.html
この問題、いろいろな視点があると思うけれど、一応作曲家をやっている身からひとこと。作曲する(音楽を作る)人間というのは、そもそもは単純に「いい曲を書きたい」と思い、いい曲ができたら「聴いて欲しい」と思うだけで、報酬や対価(つまり、お金)を目的としているわけではない。それを専業とすることで安定収入を得るのが「プロの作曲家」ではあるけれど、理想を言えば、やはり報酬は「聴く人(あるいは神様)の喜ぶ顔」しかないのだ。
やはり原点はそこなのだと思うのです。
そんな中で、前世紀末に生まれたネットという新世界では、プロもアマチュアも関係なく、自分で作った楽曲や動画や情報を自由に投稿し、面白ければそれを寄ってたかって加工する(楽曲だけだったものが、アレンジを施され、キャラクターが生まれ、動画やアニメーションが付いたりする!)という「理想郷」(というより子供の遊び場みたいなものか…)が育ちつつあり、私のように擦れた作曲家の目には、実に「面白い」と同時に「うらやましい」と映っていたのだが・・・
大事にしたいですよね、ほんと。
で、同じ方の他のエントリ
月刊クラシック音楽探偵事務所: 夏休み雑談・作曲家と著作権
http://yoshim.cocolog-nifty.com/office/2007/08/post_7b9c.html
あーシベリウスも没後50年ですか。。。そいえば数年前ラベル没後50年のときは一斉に楽譜並んでたような。
これは、市場の原理からすると、現代の作家にとって不利なシステムとも言える。なぜなら、この構造を逆に見ると、クラシック作品を演奏しても「無料」だし余計な「手間」はいらないのに、新しい作品を演奏しようとすると「有料」でかつ「手間」がかかるということになるからだ。
これは、演奏する側からすれば、「ペナルティ」を付けられている等しい。なにしろモーツァルトを演奏するのはタダなのに、ヨシマツを演奏しようとすると著作権協会が「お金を払え」と言ってくるのだ。「じゃあ、ヤメタ」という人がいて当然ではないか(笑)
正直現代曲やろうとするといろいろウザい。曲自体ウザいっつうに、、
さすがに普通の人がお風呂で鼻歌を歌ったり、自転車を漕ぎながら口笛を吹くのは、「個人の娯楽」の範囲内として、著作権フリーになっているが、そのうち、街でふんふんと鼻歌を歌っても、著作権使用料を徴収される時代が決して来ないとは限らない。
・・・と以前、某著作権団体の人に「冗談で」言ったところ、「取れる方法が開発されたら、明日からでも徴収したいですね」とお答えになった。おお、こわ・・・
4分33秒もあながち冗談でもないのかもしれん。