半世紀に渡って不法占拠という「生を記し」てきたが、2700千万で出てってやるニダ

http://www.mindan.org/shinbun/news_view.php?page=22&category=2&newsid=6190

消えゆく河川敷の街 川崎市戸手4丁目12番地 2006-01-25

現地をフィールドワークする市民有志

 【神奈川】川崎市多摩川河川敷で約半世紀にわたり営々と築いてきた同胞コミュニティー、戸手4丁目12番地が、スーパー堤防建設にともない、近い将来、地図上から消え去ろうとしている。現場は多摩川の屈曲点にあたり、ひとたび台風に襲われれば川が増水し、町全体が冠水してしまう危うさを秘めていた。だが、それだからこそ住民は助け合い、結束して住環境の改善に努めてきた。

住環境改善へ同胞結束…半世紀の歴史刻み退去
国土交通省スーパー堤防建設のため

 戸手4丁目は川崎駅の西口、徒歩で20分ほど。東京都と神奈川県の間を流れる多摩川の河川敷にかつては約100世帯が密集して居住していた。

 このほとんどが在日同胞。日本の植民地施策のもと、故郷での生活の糧を失い、やむを得ず渡日を余儀なくされ、あらゆる辛苦と流浪の果てにたどりついた人たちがほとんどだった。中には日本鋼管強制徴用されたという人もいた。

 いまは数戸を残し、昨年9月までにほとんどが立ち退いた。今後は河川の治水安全を図るためのスーパー堤防の建設が国土交通省の手で始まる。

 ここに集住地が形成されたのは59年の伊勢湾台風の後、3〜4年の間とされる。あっという間に100戸が形成されたという。民有地ならともかく、国有地や市有地で不法占拠が許されることはない。このため、役所の目が行き届かない土・日の2日間で家を建てるという離れ業もやった。
(略)
 戸手4丁目12番地は間もなく地図上から消える。しかし、在日が確かな生を記した町としてこれからも人々の記憶に刻まれていくことだろう。

(2006.1.25 民団新聞)


関連:
http://blog.livedoor.jp/lancer1/archives/28666610.html

在日韓国・朝鮮人集落 歴史に幕:朝日
 川崎市幸区戸手4丁目で川崎市幸区多摩川の河川敷に、戦後60年近く残り続けた在日韓国・朝鮮人たちの集落が近く姿を消す。もとは朝鮮半島から強制連行された人らが戦後住むところに困り、住み着いたとされる。半分ほど公有地のため、市や国が長年立ち退きを求め、ようやく補償交渉が合意に達した。跡地は3棟の高層マンションに生まれ変わる。
 JR川崎駅から1・5キロほど離れた多摩川の堤防の外側に沿うように集落はある。バラックなどが隣り合わせに並び、高齢者を中心に約130世帯が住む。人数は200人前後とみられるが、住民登録していない人も多く、市も住民自身も正確な数はまったく把握できていない。
 国有地や市有地を「不法占拠」した場所も多く、市や国が約40年間住民に求めてきた立ち退きに、住民側がこの5月に応じることが決まった。
 公有地の住民への直接補償ができないことが支障になってきたが、集落内に点在する民有地を公有地と交換後、開発業者に転売することで「補償費」を工面することにした。1世帯当たり平均で2700万円程度の「補償」が見込まれるという。
 9月から立ち退きが始まり、住民たちは市内各地の市営住宅などに移り住むという。跡地は06年5月までにかさ上げ整備されたうえで、土地開発業者が20階前後のマンション3棟を建てる計画だ。 (一部略)

とっとと出てけ。